久し振りにイタリアン・ランチ [美味しかったもの]
本当だったら震災の夜に行くはずだったイタリアンの店、フランチェスカにランチを食べに行ってきた。地震の直後からお店を開けて頑張ってる様子がシェフのブログhttp://vinoil.exblog.jp/に載っていて、落ち着いたら食べに行きたい!とそれがここしばらくの頑張りの元にもなっていた。まだガスが使えないし、きっと仕入れもかなり大変な状況での営業でしょうけれど、久しぶりの味がうれしかった。お行儀悪く写真を撮り、Twitterには流した。まだ開けられない店もある中、こうやって頑張ってる店もあるんですよ~って知ってほしかったので。岩沼の2色のアスパラのパンチェッタ巻き、美味しかったですよ。ホタルイカのパスタも美味でした。もちろんメインも・・。
グーグルアースを久しぶりに見たら、沿岸部がとんでもないことになっていた写真が見ることができた。仙台空港の脇の空き地には流されたと思われる車がまとめて置かれている。津波をかぶった田畑は海水の塩分が土に染み込んでしまったわけで、すぐに使えない。津波でいろんなものが流され、養殖いかだや漁船、それに港に大きな被害が出た漁業も大変だろう。それでもなんとか地場の食材を大事にしたいと思う。そして地元のお店にも頑張ってほしいなぁ。
グーグルアースを久しぶりに見たら、沿岸部がとんでもないことになっていた写真が見ることができた。仙台空港の脇の空き地には流されたと思われる車がまとめて置かれている。津波をかぶった田畑は海水の塩分が土に染み込んでしまったわけで、すぐに使えない。津波でいろんなものが流され、養殖いかだや漁船、それに港に大きな被害が出た漁業も大変だろう。それでもなんとか地場の食材を大事にしたいと思う。そして地元のお店にも頑張ってほしいなぁ。
今日の本(492) [本]
今日、買った本
浅野和生『ヨーロッパの中世美術 大聖堂から写本まで』中公新書 2009
内田樹『ひとりでは生きられないのも芸のうち』文春文庫 2011
茂木健一郎『脳の王国』小学館 2011
辰巳芳子『辰巳芳子 スープの手ほどき 和の部』文春新書 2011
辰巳芳子『辰巳芳子 スープの手ほどき 洋の部』文春新書 2011
浅野和生『ヨーロッパの中世美術 大聖堂から写本まで』中公新書 2009
内田樹『ひとりでは生きられないのも芸のうち』文春文庫 2011
茂木健一郎『脳の王国』小学館 2011
辰巳芳子『辰巳芳子 スープの手ほどき 和の部』文春新書 2011
辰巳芳子『辰巳芳子 スープの手ほどき 洋の部』文春新書 2011
昨日はエイプリルフール [日記]
朝起きてパソコン立ち上げた途端に、「突然ですが、この度結婚する事になりました」という某SNSの日記タイトルでしっかり目が覚めた。え!彼が!でも誰と??と慌てて読みに行って担がれたことに気がついた。四月馬鹿だということをすっかり忘れてた。例年だとあちこちにたわいもない嘘が散らばってるのに、さすがに今年はあまり見かけなかった。浮かれるには重すぎる現実なのか。
月が変わって炊き出しがなくなり、なんだか夕方はのんびりしすぎて暇をもてあましていた。さっさと年寄りたちの夕食を準備して、本を読んでいた。先月はほとんど読んでなかったし、メディアマーカーの記録を見たら1冊も買ってなかったらしい。その分、今月はじっくり本を読もう。2週間チョイ炊き出しを手伝って、何よりも自分のリハビリになっていたと感謝している。あの混乱した状態から、毎日同じことを繰り返し、いろんな人と言葉を交わしていくうちに自分の中にも落ち着きが出てきた。手伝い初日は雪の日で、走ってる車もほとんどなく、歩いてる人たちの表情も硬かった。きっと私もそうだったんだろう。我が家の近くは揺れによる被害とライフラインの断絶はあったものの、建物の倒壊とか津波の被害はなかった。近所の避難所は一杯で食料も十分に行き渡らないと言う話しも聞こえてくる、そんな半被災者状態だった。買い物は困難で、やっと買ったものと手元にある食材で大人4人、何日食べ繋げるか?という普段なら悩みもしないことが一番の心配事だった。そんなときの炊き出しの手伝いは、こんな状況でも私にも少しでもできること(って、皿洗いと野菜切りだけど・笑)がある、という自分の中の何かに繋がっていった。なので周囲の人のための炊き出し、というよりも、自分のための行動だったのかもしれないと終わってみてから感じている。
月が変わって炊き出しがなくなり、なんだか夕方はのんびりしすぎて暇をもてあましていた。さっさと年寄りたちの夕食を準備して、本を読んでいた。先月はほとんど読んでなかったし、メディアマーカーの記録を見たら1冊も買ってなかったらしい。その分、今月はじっくり本を読もう。2週間チョイ炊き出しを手伝って、何よりも自分のリハビリになっていたと感謝している。あの混乱した状態から、毎日同じことを繰り返し、いろんな人と言葉を交わしていくうちに自分の中にも落ち着きが出てきた。手伝い初日は雪の日で、走ってる車もほとんどなく、歩いてる人たちの表情も硬かった。きっと私もそうだったんだろう。我が家の近くは揺れによる被害とライフラインの断絶はあったものの、建物の倒壊とか津波の被害はなかった。近所の避難所は一杯で食料も十分に行き渡らないと言う話しも聞こえてくる、そんな半被災者状態だった。買い物は困難で、やっと買ったものと手元にある食材で大人4人、何日食べ繋げるか?という普段なら悩みもしないことが一番の心配事だった。そんなときの炊き出しの手伝いは、こんな状況でも私にも少しでもできること(って、皿洗いと野菜切りだけど・笑)がある、という自分の中の何かに繋がっていった。なので周囲の人のための炊き出し、というよりも、自分のための行動だったのかもしれないと終わってみてから感じている。